はじめに
映像作家のクリス・ミルク(Chris Milk)は、2015年と、2016年に、VRというメディアの与える影響や可能性について、TEDでスピーチをしています。
クリスはスピーチ中で何度かVRについて定義を行っており、それらはVRという新しいメディアフォーマットの特徴を考えるうえで、とても参考になります。
そこで、今回は彼のスピーチ中にあった、いくつかの表現をピックアップしながら、VRとはどのような技術なのかについて、考えていきたいと思います。
クリス・ミルクのスピーチ
「How virtual reality can create the ultimate empathy machine(仮想現実が究極の感情移入マシーンを作り出すまで)」2015年
「The birth of virtual reality as an art form(芸術として生まれ変わったVR)」2016年
VRは「体験するメディア」
(VRを説明するのがなぜ難しいのか、)それは、VRは説明したり理解したりするものではなく、体験するものだからです。内部で感じるメディアだからです。機械ではありますがその内部では、世界を本物のように感じることができます。—「仮想現実が究極の感情移入マシーンを作り出すまで(2015)」
VRの技術によって構築された360度の映像の世界は、私たちがそのつくられた世界の中に入り込むことを可能にしてくれます。
VRのコンテンツでは、鑑賞者と媒体を隔てていた壁を取り払い、その世界の中の一員となったように感じることができるのです。この表現を可能としたVRは、クリスが言うように、「鑑賞するもの」というよりは、「体験するもの」という言葉がぴったりです。
VRは最後のメディア
VRはメディアの最終形態だと確信しました 。VRでは制作者が映像で表現した体験を、聴衆が作品を見ることによって、感じ取る過程から、直接体験する過程へ一気に超える事が可能だからです。—「芸術として生まれ変わったバーチャルリアリティー(VR)(2016)」
クリスはさらにこのVRが持つ「体験」という側面に着目して、VRがメディアとして最終の形態なのではないか、と語ります。
例えば、私たちがなにか新しい現実や物語を、メディアを介して理解する時、(映像だったり、新聞だったり、小説・写真・イラストであっても)、それはいずれもあるメディアのフォーマットによって切り取られたものでした。私たちはそれを見ながら、自身の経験や知識と照らし合わせ、理解したり共感したりしてきました。
しかしVRでは、私たちが、新しい現実を体験することが可能なのです。遠く離れた地域で行われていること、過去に起こったこと、それらはすべてVR空間に新しい現実として表現されます。そして私たちはそれを再度、直接体験することができるのです。
これによって、脳で理解・想像するのではなく、感覚で理解・想像することができるようになるのです。
(VRでは)意識がメディアになる
VRがなぜ画期的なのかと言うと、他のメディアでは、あなたの意識がメディアを解釈するのに対し、VRではあなたの意識自体が 媒体だと言えるからです。—「芸術として生まれ変わったバーチャルリアリティー(VR)(2016)」
これをクリスは「われわれの意識自体がメディアとなる」という言葉で表現しています。
VRという技術を使って私たちは誰か他の人の人生を疑似体験することもできます。そこでは、説明的なナレーションや感情を揺さぶる音楽演出がなかったとしても、私たちは置かれた状況を理解し、そこからなにかを感じることができるかもしれません。
しかしながら、VRの表現方法はまだまだ試行錯誤の段階です。アトラクション的な驚き・単なる娯楽という枠を超え、ストーリーを伝える媒体へと進化することで、VRという技術ははじめて効果を発揮する、とクリスは言っています。
VRは(既存メディアとは比較にならないほど)深く人間同士を結びつける
仮想現実は、本当の意味で世界を変える力を持っているのです。これは単なる機械ですが、私たちはそれを通して、より思いやりをもち、より感情移入し、よりつながり合えます。そして最終的には、より人間らしくなれるのです。—「芸術として生まれ変わったバーチャルリアリティー(VR)(2016)」」
クリスはこういったVRの持つメディア特性を活かすことで、共感する気持ちが増し、より人間的になることができるのだ、とスピーチを締めくくります。
VRを使って、これまでより多くの体験をすることで、私たちは様々なことに感情移入をし、共感をし、つながりあうことができるのではないか、というのです。
このスピーチを聞いていた多くの観客は、プレゼンの最中に用意されたVR体験で、思わず声を上げてしまったり、笑ったり、と、素の感情や反応を示していました。VRを通じて、新しい体験を共有したのです。
そのように、VRを通じて共有した体験は、新しく他者と向き合うきっかけになるかもしれません。
最後に
クリスが言うように、VRは共感のメディアになるのでしょうか、それとも、よく懸念されるように、仮想の世界は、現実とのコネクションを薄めてしまうのでしょうか。
いずれにせよ、あまり拒否感を感じたり、悲観的になりすぎたりせずに、この技術と向き合っていく必要がありそうです。これまでとは全く違う、新しい技術であることは間違いないからです。
VRは、これまでできなかった表現を可能にする装置なのか、そして可能になるとするとどのようなことなのか、まだわからないことはたくさんありますが、制作や体験を通じて、新しい表現を理解していきたいと感じました!
(担当:田中)